『人生の危機を乗り越える為』のLogotherapy勉強会

~苦悩の冠~

人は常にすぐ近くに幸福を求める。
~しかし~

神は遠くに求める。
神の視点は、人間より常に遠いところに置かれているようだ。

人生におけるミッションは作るのではなく
発見するもの。

人は人生の意味を問うべきではない。むしろ自分が人生に問われていると理解するべきである。
全ての人は人生に問われているのだ。
人は自分の人生を引き受けることによってしか、その問いに答えられない。

 

【究極の選択】    

強制収容所の中で、人は「典型的な収容所囚人になるか」あるいは「ここにおいてもなお、人間としての尊厳を守る一人の人間になるか」という決断が出来るものなのである。

全てが「無」になった人は、全てが「有」になるのだ。すなわちいかなる運命にも、無条件かつ絶対的な意味があると信じて、その運命に逆らわず、身を任せることが必要。  

【永遠の命】    

私をこんなひどい目に合わせてくれた運命に感謝しています。なぜなら、以前ののブルジョア的生活で私はあまやかされていましたし、ほんとうにに真剣な精神的な望みを追っていなかったからです」彼女は窓の外のカスタニエンの木を指さして言った。「私はこの木とよく話をします。≪私は・・ここに・・いる。私は永遠の命だ≫とささやいています」( 夜と霧より

 

【絶望との闘い】    

ひとつの運命が人間にある苦悩を課する時、この苦悩の中に一つの課題「一回的な運命」を見なければならない。何人も彼の苦悩の肩代わりはできない。まさにその運命にあたった彼自身がこの苦悩を背負うということの中に独自な業績に対するただ一度の可能性(意味)が存在するのである。

   

【深き淵より】

これらすべてのことから我々はこの地上には二つの人間の種族だけが存することを学ぶのである。
すなわち品位ある善意の人間とそうでない人間だ。
しかもいかなるグループも純血ではない。だから看視兵の中にも若干の善意の人間もいたのである。 ナチス親衛隊の一員であり、強制収容所の所長であったホフマンは、囚人に自分雄ポケットマネーで薬を買って密に与えたり。死んだ囚人をひそかに埋葬し、死者の名前を鉛筆で小さく樅ノ木に刻んでくれていたという。(夜と霧より)

支えになることば

フランクルの著書

夜と霧
強制収容所の中で見た人間の本質。




死と愛
ロゴセラピーについての論文。




   

それでも人生にイエスという
辛い人生をも肯定する力




人間とは何か
ロゴセラピーについての論文。

更新履歴

新装 2017/05/01
改装 2017/05/15
更新 2017/08/27
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